胆石とサヨナラしたわけ

2020年4月2日、胆嚢摘出手術を受け、長年お付き合いしてき胆石とお別れした❗
入院生活と胆石との付き合い方をテーマにまずは綴って行く。
初めて胆石が体のなかに存在することが分かったのは、まだ小学校教員時代に受けた人間ドックであった❗
エコーという検査機械でお腹を診てもらった。
『砂状の物(胆砂)が胆のうに蓄積してます。』
という医師の見立てを伝えられた。
私は記憶している限りで遡って、自分の体調の変化を思い出してみた。
するともうすでに大学生の時に背中の辺りが急に痛くなって苦しんだことを思い出した。
もしかしたら、すでにこの頃から胆石は出来はじめていたのかも知れない。
次に痛くなった記憶は30代半ば、その頃は胃の部分が痛んでいたような気がしていたので勝手に胃潰瘍かも⁉️と思い込んでいた。
何度も続いたので、初めて内科医に行き診てもらった❗
そこではピロリ菌が原因と言われ、治療を勧められた。
しかし、私は何となく違う気がして、ピロリ菌の治療はしないまま放っておいた。
胆石による痛みは、一時期痛んでも乗り越えてしまえばなんともなくなり、日常生活が送れるという特徴があった(私の場合)。
この後も不定期に同じような痛みが繰り返したが、我慢すると治るので、体調が悪いときや、暴飲暴食が過ぎるときに起こる症状として回復を待つだけで特に治療はせず、過ごした❗
40歳を迎え、初めての人間ドック❗
人から聞いた話では、都会のホテルに泊まって料理も楽しめて、良かった✨
なんて話を聞いていた。
遠くまで出かけるのがおっくうな私は出来るだけ近い阿知須共立病院に予約した❗
待ち時間は暇で、採血はチクリと痛いし、いろんな検査で被爆するし、私はあまり楽しめ無かった。
とくに、造影剤を入れてのCT検査は体の中に温かい薬が流れていくのが分かり、気持ち悪かった❗
しかし、この人間ドックのお陰で初めて胆のうという臓器に砂が溜まっていることが判明した✨
後日病院から直接連絡があり、
『胆のうの場所をもう少し詳しく検査した方がいいですよ。放っておいたら最悪ガンになることもあります❗』と言われた。
ガンと聞いて少しビビったが、もう少し詳しい検査を受ける方がよっぽど病気になりそうだったのでまたしてもそのまま放っておくことにした❗

病院からの再検査要請の電話を横で聞いていた妻は、『私が食事でなんとかする。』と言って、体に良い食事を調べ始め、マクロビオティックという料理方法をならい始めた。
お陰でその後2~3年は少し痛む回数が減った。
しかし、少しでも飲み過ぎ食べ過ぎをすると夜中に苦しむという状態は残っていた❗
そしてついに、今から4年前の夏、初めての胆石による救急搬送と入院を経験することになる❇
とある焼き肉屋さんで友達夫婦と一緒に焼き上がった肉を食べようとした丁度その時、いつもとはレベルの違う痛みが胆のうのある場所から沸き上がってきた❗
呼吸することが困難になるほどの痛みに襲われ、座敷でのたうち回った❗
すぐ救急車を呼んだがお店からはサイレンを鳴らさないようにと要望された。
それはそうだ、飲食店に救急車が来たことが分かれば色々とあらぬ疑いをかけられてしまう。
とんだ営業妨害だ❗
激痛に耐えながら搬送される間も、お店に迷惑がかからなければよいなとずっと心配していた。
病院につく頃には、救急車の中で一度もどしたこともあり少し痛みはおさまっていた❗
またほどなく肩に痛み止の注射がうたれたからはまったく痛みはなくなった❗
しかし、逆にこの痛み止めのせいで気分が悪くなってしまった✨
救急隊員や医師や看護師からのどうしましたか?
という質問には、あらかた答えたが、『食べ物は一口も口にしていない。』という一言を必ず添えた。
飲食店に迷惑はかけられない。
数々の検査を受けた後、医師から病状の説明を受けた。
案の定、胆のうの中にある石が動いて胆のうの出口に詰まった状態(胆石発作)だった。
ここで胆のうという臓器について、私の知っている範囲で解説する。

胆のう
胆のうは肝臓の下にあるソーセージ位の大きさの臓器で、肝臓で作られる胆汁という液を貯めておく役割がある。
場所としては、みぞおちのちょっと右(痛むときもだいたいこの辺)
胆汁は脂質を分解するときに必要な液で、油ぶんを含む食品を食べると、この胆のうから胆管という管を通って腸に胆汁がおくられる。
胆のうという臓器を知れば知るほど、今までの痛みの原因が納得できた。
私が苦しむのは油ぶんの多い食事をとったときで、それも食後すぐではなく2~3時間たってから。
その間食事は、食道や胃を通って分解されているのであろう。
そして腸に差し掛かった時胆汁を出そうとして胆のうが動き出す。しかし、砂や石がたまって胆汁がだせない。
それで食事か腸を通過する間じゅう鈍い痛みがみぞおち右に発生する。(短いと2~3時間、長いと朝方まで。)
痛みが治まるとまた何事も無かったかのように過ごせるのは、胆のうの動きが止まっているからである。
さて、病気の正体は分かった。
これからどうするか、である。
私がここまでしつこく胆石くんとの物語を紡いでいるのには理由がある。
何しろこの胆石くんこそが、私を小学校教員から今の茶宗天地Tea茶ぁーへと導いてくれた、一番の存在だったからである。
(もうひとつは母であるが、こちらはまだ語る時期ではない気がするので、別の機会にとっておく。)
医師からは強烈に手術を勧められた❗
というか、手術以外の選択肢など無いかの勢いだった❗
要約すると、
- 胆石だけを取り出したり、消したりする方法はないこと。
- 手術は、胆のうを摘出するやり方で腹腔鏡という方法を使えばけして難しいものではないこと。
- 放っておいて胆石が胆管に詰まると、その時は腹腔鏡が使えず開腹によるダメージの大きい手術しか出来なくなること。
- 胆のうは無くても、胆汁は常に作られ分泌されるので、日常生活を送るのに支障ないこと。
などだった。
これを聞いたら、手術を考えるのが普通な気がするが、私は迷った。
理由は、
〇生き物の持つ自然治癒力こそ万能で、それを高めることですべての病は治せると思っていたこと。
〇薬や医療に不信感を持っており、自然治癒力を妨げると思っていたこと。
〇自分の師匠と呼べる人が、ガンを切らずに食生活の改善で元気に過ごされていること。
〇実際入院までは食生活を見直すことで元気に過ごせていたこと。
〇人体でいらない臓器などあるはずない、失くせばきっと他のところに別の病気が出来るにちがいない。
という考えがあったからだ。
最後にもうひとつ、私は選択肢のない決定を迫られると反発したくなる特性を持っていた。
悩んだ挙げ句、今回の入院では手術せず、徹底的に食事を改善することで、自分で治すことにした。
医師はあきれている様子だった。
45歳となって人生初の入院生活を経験した。
この入院生活は、私に現代医療との決別を覚悟させてくれた。
手術をせずに退院するということは、医療の力を借りない決断がなければ出来なかったことだ。
それからは、より一層食生活を改善することに努めた。
○油の多い食事はとらない。
○学校給食は食べず弁当にする。
○お酒も飲まない。
○食べ過ぎない。
○添加物の多い食品を避ける。
○大好きな豚骨ラーメンを控える。
などである。
それでもたまには、ストイックになりきれず、お祭りや会食などではついつい色んなものを食べてしまっていた。
そしてそんな日の夜は、やはり痛くて苦しむこともあった。
でもそんな時は、食べたものを思い出し、出来るだけもう同じものは食べないようにした。
そうやって過ごしていると、なんとなく2つの生き方が見えてきた。
ひとつは好きなものを好きなだけ食、病気になったら医療費を払って医療のお世話になる生き方。
もうひとつは、普段から健康に気を使い、少々高くても体に良い安心安全な食べ物を食べ、医療のお世話にならずして、健康に生きていく生き方。
私は後の方の生き方に憧れながら、まだ完全にシフトすることが出来ずにいた‼️
そして、2020年3月19日、持病の胆石が動きまして、緊急入院となりました
2019年5月に開業したお店をしばらくの間休業し、コロナの対策で家族計画でさえ面会謝絶
そんな中、2度目の手術。
励ましのメッセージをたくさんいただき、リベンジ手術成功
もうすぐ満開を向かえる桜が祝福してくれました

そして、待ちに待ったこの日がやって来ました
2020年4月7日、午後退院しました
入院から数えて20日目、再手術から数えて5日目の退院です
夜遅くに搬送してくださった救急隊員の皆様。手厚く対応してくださった阿知須共立病院のスタッフの方々。皆様の連携プレーのおかげで、また日常生活に戻ることが出来ます。
また、常に私が必要なものを与え続けてくれた妻、会えなくても見守り続けてくれた家族、天国の母に感謝します
そして、励ましの言葉を頂いた多数の友人。天地を通じて知り合えたお客様方に感謝いたします。
本当にありがとうございました
これらのご恩は、仕事を含めた今後の活動の中で『恩送り』という形でお返ししていきたいと思います